この遺跡は、Buriram県のA.PhakhamのBan Kok Ngioにある。
私にとっては、2度目の訪問になります。
前回の掲載文の中で述べていた、経蔵跡に無造作に積み上げられた溝を持った石が、
Somasutraか、何なのか、気になった為だ。
もう一度自分の目で確かめたいと思い再訪しました。
遺跡の説明です。
ジャヤヴァルマン7世の
施療院(Aroyakasala)です。
祠堂、礼拝堂(Vihara)、周壁、東塔門、池で
構成されていると説明があります。
施療院は、一般的に礼拝堂では無く
経蔵と説明されていますが、
ここでは礼拝堂と説明されています。
遺跡を南東よりから見たところ。
東塔門跡。
この門の高さで作られていたとしたら、
少し低いと思います。
先客が来ているようです。
そして、みんな靴を脱いでいます。
私のような信仰心の無い者は、
今まで土足で入っていたが、
信仰心を持つ人達にとっては、
不心得者に見えた事だろう。
門の横のタイ文字は、後で調べると、
「靴を脱いでください。」と書かれています。
寺院でも、建物内は、靴を脱ぐのは当たり前ですが、
でも、そう言うところは、たいてい、
大理石とか、コンクリートですが、ここは地面です。
でも、地面であろうと、神聖な場所は、神聖であり、
「郷に入れば、郷に従え」で、私も靴を脱いで中に
入りました。
でも、前回来た時は、土足で入りました。すみません。
祠堂を、東正面から見たところ。
さっそく、溝のある石があった経蔵跡へ
向かいます。
ラテライトの石積みの中に、
材質の異なる石があります。
その石の中央には、溝が施されています。
その石を、経蔵の外から、
近くへ寄って見たところ。
砂岩でできているのであろう、
溝は長手方向に、端から
端まで施されています。
その石を真上から見たところ。
溝は、この面と反対側に施されていますが、
こっちの面にも人工的に手を加えられた
窪みの跡が見えます。
経蔵の中から見たところ。
確かに、この石を反対向きに置けば、
この溝を通して、聖水を外に流した
Somasutraに見えない事も無い。
しかし、別の部材を、この溝に嵌めて使用する
ホゾの役割を持った溝の可能性もあると
思います。
結局、この石は何だったのか、
私の知識では、これ以上の結論は出せません
でした。
経蔵の中から、少し引いて見たところ。
確かに、溝は、端から端まで走っています。
周壁の南門???
通常、ジャヤヴァルマン7世の施療院は、
東塔門のみで、その他の門は無いのが普通と
思います。
元々、経蔵の入口であった石を、
周壁の門として、並べて
建てたのではないかと、勝手に考えています。
もし、門として造られたのなら、
こんなに低いはずは無いと思ってます。
また、石に施されたホゾの向きも不自然です。
経蔵を北東から見たところ。
しかし、経蔵の壁の一部は、
周壁の壁と一体化しているようだし、
当時の復元にはなって無いように思います。
経蔵を南西から見たところ。
祠堂を南東から見たところ。
祠堂を西から見たところ。
祠堂を北西から見たところ。
祠堂を、北東から見たところ。
祠堂の一部がアリ塚?になっています。
この辺りのアリ塚は、
地面から小山のように盛り上がったアリ塚を良く見ますが、
ここは祠堂の壁面がアリ塚になっているように見えます。
アリ塚かどうかは、私の勝手な想像で、違ってたらすみません。
祠堂の内部です。
仏陀像の前で、なにやら祈祷師が大きな声で祈祷を行い、
祈祷をして貰っている人々は頭を下げて祈っています。
我々の知っている仏教の仏前の行事とは、
ちょっと様子が異なるように見えましたが、
事実は不明です。
遺跡の内側から東塔門を見たところ。
遺跡を南東から見たところ。
遺跡を南東から見たところ。
右側が東塔門です。
遺跡を北東から見たところ。